2014年7月29日火曜日

悲しきヴァンジャケット、されどVAN JAC

中学入学当時、学生服に白いズックのタスキカバンで芝に通う。
まもなく、銀座みゆき通りにみゆき族というナンパ師たちが出現。
世代を代表するような顔をした不良だったかもしれない。
彼らの特徴はファッションで当時アイビーと言われたアメリカン・トラディショナルな出で立ちをしていたと思う。
VANの開花だろうが、目立ったのは紙袋。
なにしろVANのよれよれ紙袋をみんな手にしていた。
クラフトに赤と黒の印刷でVANと書かれたマチ付きの袋はシャツなど買うと入れてくれた単なるショッピングバッグなんだがこれをいつまでも持ち歩いていたのが貧乏臭い。

ヴァンが有名になったのは、1964年の東京オリンピック。
このユニフォームデザインがヴァンだった。

たしかに、ナチュラルショルダー、アイコンジャケット三つボタン。
しかし、貧弱なエンブレムが当時の日本を表しているような気がする。
デザインは石津謙介氏だがVANがすべて作ったわけではない。
このブレザーを含め全てのユニフォームはオーダーメイドだった。
それぞれの選手に合わせて仕立て上げるというシロモノだ。
東京の縫製工場というか業界が分業で作ったものでそれぞれにばらつきがある。
だいたい、ひとつの企業がひとつの競技種目という割り当てだったようだ。
東京オリンピックの成功はつまりVANジャケットの成功になった。
大阪の商店が青山に本社ビルを立て日本のファッションリーダーになった。

ヴァンジャケットはファッションだけじゃあなかった。
石津謙介氏の柔軟な思考はまさに文化を作ることだったようだ。
確かに50年代アメリカはこの世の花で戦後の贅沢を一気に開花させた。
それをそのまま日本に持ち込んだだけだがこれが若者文化になった。
これには石津さんのご苦労というか潤沢な資金が生まれていたと思う。
文化的道具というかカルチャーアイテムをノベルティーという形で配布した。
シャツを買うと派手なステッカーが貰えたし、スーツを作ればブラシをくれた。
靴まで進出するのだが、売れたのはシューケアセットが点いていたからだと思う。

靴より高そうなノベルティー。
こんなものを気前よく配っていたのだ。
そしてショップに必ずあったのはブレザーエンブレム。
洋服屋とかかれたエンブレムを高価な値段で販売していたというかディスプレーしていた。
たしかに美しかったが遠慮したのは値段のせいかもしれない。

ヴァンのどこに惹かれるか。
それは今でも主張が判りやすい。
とても上質である意味では上品だと感じる。
これは最近のものだがコルクコースター。
数年前のノベルティーで2万円程度の買い物に配ったもの。
レーザーカットで厚み5mmのコルクボードに6枚とケースを組みたてるキット。

そして今でもちゃんと商品を作っている。
ターゲットは我々団塊世代にきまっている。
ヴァンを買う層は値段じゃなくてヴァンの商品価値、つまり品質を買っている。
 ごく最近購入したベースボールキャップ。
ひさしは極上のラムスキンっぽい合皮。
刺繍も手縫いっぽい。
日本製とちゃんと書かれている。
これが今のヴァンジャケット製品。
きっちりとモノづくりをしている。

商品展開も色々あるがどれも伝統的ヴァンの製品を踏襲している。
確かに過去、商品が飽きられ企業の縮小が出来ずに1978年に倒産した。
あまりにも急激に大きくなり経営者としてのセンスを身につける時間もなかっただろう。
その後、有志が再建を果たす。
当然、新会社としてネーミングなどを承継し製品を作り続ける。
販売網広げようとベルソンジャパンなどで商品展開したが中国製の粗悪商品でかえって評判を落とした。
ベルソンジャパンはライセンスレンタルで生産を続けるも倒産。
そもそもベルソンジャパンは急激に販売網を拡大し旧ヴァンに二の舞いだった。
ヴァンジャケット自体は元の製造販売に戻り地道に現在も営業できている。
確かに商品コンセプトや商標などをレンタルしたり販売したりしているので2000年以降は不思議な流通でKENTやVANが見られる。
しまむらというファッションショップでヴァンレッドラベルなんてのもあった。
これからは地道に小さなマーケットで勝負しているのが正解だろう。





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