2019年6月30日日曜日

鉄道模型 サザンパシフィック鉄道 SP-1 3シリンダー機 分解

馬鹿でかく殺風景なボディーなんで塗装でもするかなあと。
機関車の上下を分離しました。
3本のビスで固定してあります。
シリンダー中央に一本、運転席の最後尾左右に2本でした。
これはほとんど標準的な足回りのボディー取り付け方法です。
足回りの前方にロッドがあります。
これが3気筒の中央シリンダーの前後動を左右のシリンターに伝えるロッドでしょう。
ロッドの可動範囲は前方の受け以内ってことだと解ります。
この模型ではこの部分は不動です。
中央シリンダーは右にピストンがありロッドを前後させるんでしょう。
分解しないと判らない部分ですがちゃんと作り込んでありました。
モーターはKTM(カツミ模型店)のオリジナルです。
このモーター形式を棒型モーターと言います。
普通は磁石が両サイドを抱えるように配置してあると思います。
これは磁石が後方にあります。
磁場を軸ローターに伝えて回すんですね。
電極ブラシの前に軸受が乾いたウールを挟んでいます。
これが軸受注油になっているんですね。
軸とギアボックスはゴムチューブでつながっていました。
硬く硬化していたのでビニールパイプに変更しています。
透明なんで軸の上下にずれているのが解りますね。
動輪軸の軸箱はスプリングで上下します。
その分を入れてもちょっとズレています。
パワーロスが起こるんでモーターの頭を少し持ち上げる細工が必要でしょうか。


下回りは黒染めしてありますのでペイントはどうするかというところです。
米国で行われた前回の塗装は黒く塗装していたようで塗料が残っています。




全部で5パートになりました。
機関車煙室最前部、煙室扉部分はシルバー色
上回りの煙突部分の煙室はグラファイトという黒銀。
あとは黒一色ではなく火室部分(運転室下)はシルバー色です。


順番は煙室扉と火室部分のシルバーからですね。
次は煙室のグラファイト。
それらをマスキングして残りを黒という段取りですかね。

10年ぶりくらいの塗装なんで道具をまず揃えないといけません。

以前、大井競馬場のフリーマーケットで購入した岩田のSprint Jetというコンプレッサー。
今でもあるようです。
岩田は工業用コンプレッサーの最王手で安定していると思います。
スプレーガンは往年のオリンポス0.5mmだと思います。
このガンは優秀ですね。


大昔は殺虫剤の手動ポンプ式を使っていたと雑誌で読んだことがあります。
まあ、そんなもんじゃあ塗料がいくらあっても足りない。
工業用のコンプレッサーは空気圧の調整が大変だろうと思います。
このホビー用コンプはダイアフラムだけなんで特にエアタンクはないんですね。
脈流のエアがちゃんと普通に吹き出します。
なんでか不思議。

2019年6月29日土曜日

鉄道模型 Southern Pacific鉄道の3気筒巨大蒸気機関車

鉄道模型は大学時代に伊勢佐木町にあった千代田ママストアが始まり。
チヨダママストアが横浜駅の相鉄駅ビルの2階に回転してその前を通っている時に惹かれる。
店先にレイアウトがあってヨーロッパ型がいつも走っていた。
よくもこんなに走るもんだとビックリした。
小学校時代の鉄道模型経験からは考えられないサイズと走行性能。
昔のOゲージは火花を出しながら高速運転で脱線していた。
そこで見たことから伊勢佐木町の篠原模型店でHOゲージに手を染める。
卒業間近にDM&IRの2-10-4、E-4だったがあまりの大きさに惹かれた。
Nickel Plate社に熊田貿易が輸出したテキサス。
この蒸気機関車を手に入れたのは3万円程度だったと記憶している。
それからペンシルバニア鉄道の2-8-0の小型機。
篠原模型店は結構、米国型があったのは地域柄、米兵が結構いたからだろう。
本店は本牧だから基地の前だったと思う。
鉄道模型趣味という雑誌を読み始めて色々な店の広告を見て米国型を漁った。
モデルレールローダーという米国雑誌にはかなり広告があるのに日本ではほとんどない。
つまり、輸出商品だったので国内での販売は限られていたということだ。
広告を見て模型店に行くとさっぱり商品はなかった。
あるのは日本型で米国型は一つ二つ程度。
今にして思うと1970年代はもう全盛期を過ぎていたようだ。
1972-3年に始めたのでほとんど無かったんだろう。
程なく、天賞堂でGNのF-8を見つける。
価格は忘れたが4-5万だっただろうか。
お金を工面してなんとか手に入れる。
そのグレーシャーパークカラーに驚き2-8-0の小さな車体に歓喜した。
同時に雑誌広告で百貨店の営業をしていた人物と知り合う。
彼の社宅にお邪魔すると数十台のアメリカ型が展示されていた。
懇願して初めてマレー式を手に入れる。
チェサピーク&オハイオのH-6はなんだか古くて纏まったスタイルの機関車だった。
PFM社がアトラス合同から仕入れたもので今でも所有しているだろう。
だろうというのは見ていないから箱に入ったままなのか。

新婚旅行でサンフランシスコからロスアンゼルスまで鉄道の旅をした。
ツアーなんで飛行機だったのをキャンセルしてアムトラックに乗った。
早朝に出て夜着く長旅で食堂車のランチが嬉しかった。
そこでその路線を走っていたデイライト特急に興味が湧いた。
こんな機関車が走っていたんだなあ。
ということでサザンパシフィック鉄道に興味が湧いた。
サンフランシスコではバートに乗りシステムに驚いた。
チケットは今のスイカみたいなデポジットで乗った分だけ払うようなシステムだった。
目的はバークレーのUCLAだったがバートも楽しかった。
初めてのSPロコはなんだっただろうか。
多分、デーライトを牽引していたGS-4だっただろう。
バルボア社にカツミ模型店が輸出した古いものでそれを塗装してもらった。
以来、SP専門に収集し始めた。
それ以降、アメリカの模型屋から直接購入を始めたことでSPを集めることができた。
そこで4-10-2という機関車も購入した。

今の愛車はホンダビート という3気筒エンジンの車なのだが、
この機関車が当時は3シリンターとは知らなかったが機関車の前方の様子が違う。
これもカツミ模型店がマクスグレー社に大量輸出したもの。
日本からの輸入をしていたブランドはほとんど西海岸にあった時代だ。
1963年わずか75ドルで売られた機関車だった。
マクスグレー社はOゲージも同時に発売していたのでこれもOゲージがあるはず。

3シリンダーとは両サイドのシリンダーの中央にもう一つシリンダーをつけている。
中央にある丸いものが第3シリンダーで前方にロッドがあり出力を両輪に伝えている。
この機構ってメインテナンスがかかるのでこの形式だけ採用されていた。
まあそれほど複雑ではないがその割に出力を得られなかったのかもしれない。

奥まっていてほとんど見えない部分だがこれは模型では動かない。
動いて欲しいと思うけどこれを動かすのは大変そうなので加工は諦めている。
他に韓国製があるのでそれは動くかもしれない。
かもしれないというのは実際に記憶にないってことでこんなところが動いても走っている時に覗き込まない限りわからない。
3気筒については全く知識がなかったということだ。
今になればそうなんだということで、収集当時はこの大きな古ぼけた機関車を手に入れて満足していた。
模型は色々な楽しみがある。
手に入れるまでが最も楽しい。
発注してから海を渡り通関するまでを想像しながら待つ。

最近また取り出しこうして3シリンダーの機構を見て凄いと思う。
これまで数十年知らなかったことがようやく理解した喜びだ。
次にボロ機関車だがペイントしたくなった。下回りは黒染めしてあるので上回りだけでも塗装してあげたいなあと計画する楽しみ。
これが第3シリンダーの動力を伝えるロッド

鉄道模型は永遠に楽しむことが出来る。
これは単なるコレクションではない。
絵画とか花びんなどを収集しても見るだけしか楽しみはない。
鉄道模型は見て、触って、いじくりまわして走らせるという永遠の楽しみ方があるのは極楽なのだ。

2019年6月24日月曜日

水泳再開3回目

再開してると言ってもわずか500Mです。
今回は2分から1分30秒まで徐々に縮めて泳ぎました。
1分15秒程度で泳いでいます。
一発勝負なら1分切れると思います。

Apple Watchのアプリも試しています。
今回はSwimWatch+アプリ。
スタートボタンがありません。いつスタートしたらいいのか不明。
こんなアプリ使えないなあと思いながら
保存ボタンを押してスタート。
全然データが取れていませんでした。
0m表示は悲しい。

2019年6月21日金曜日

第三次 ドローン マイブーム 

2度のドローンは大失敗というか上がってもコントロールが出来ない状況で操作が複雑すぎると思いました。
コントロールは、上下、回転、進行と2つの基本動作をコントロールするということになります。
回転とは向きのことで進行は進む方向ということです。
どんな向きでも進む方向は自由にコントロールできます。
ドローンは前に進むものではなくどっちでも進めることになる。

そんなコントロールが簡単にできる訳ない。
3度目の購入はFacebookに舞い込んだ宣伝でした。
https://blade720.net
Blade 720 Drone - 1 - 10750.00 ¥

1万円の中国製で定置安定するという謳い文句が決め手。
嘘ですがね。
基本的に上空から撮影が目的ですから定点安定は必須です。
このローターは折り畳めて本体のサイズになります。
宣伝ではポケットに入るということでした。
ローターカバーは元々ついてはいない補助パーツ。
カメラは固定、前方から真下に回転できますが手動です。
動画はiPhoneのデータとして取り込むことになります。
上にあるコントローラーはまだ使ったことがありません。
とりあえず2つの円軸レバーで大丈夫だと思います。
iPhoneのアプリでもそうなっています。
iPhoneでコントロールすると画像が取り込めます。
つまり、本体にSDスロットはないので単独で画像データを保存できない。

安定しているのは飛び出しです。
iPhoneではアイドリング状態まで回転してギアが入る感じで飛び上がります。
上がった位置を維持しようとしますが、風で流されるとコントロールが必要。
それでも以前に比べるとかなり安定している感じです。

ほとんど当てずっぽうで試験飛行しました。
初フライトです。
家の前の高架下駐車場ではば5M程度の広さで高さは3M弱でしょうか。
これは5分程度をまとめたものですがとりあえずは飛びました。
午前12時過ぎのひと気がない時間帯で車にぶつけずに飛びました。
左右、前後の動きはわかりました。

とにかく飛ぶことは確かであとは運転の腕ということです。
緊張して老人には長時間は無理。
風の影響がない場所ですからそれなりに運用できそうです。

2019年6月19日水曜日

米軍慰安ホテルと鉄道模型

京急立会川駅から第一京浜に出て品川寄りにホテルがあった。
そこは京浜ホテルといってたような記憶がある。
瀟洒なホテルと裏庭で高い木の塀で囲われていたが時々侵入してみたりした。
特に面白いものはなくブランコとベンチ程度だったがすぐに追い出された。
表は車寄せがあり入り口は閑散としてひと気もなかった。
その車寄せでローラースケートをした覚えがある。
ネットで調べても出てこない謎のホテルなのだ。
私が小さい時分の話だと裸体の女性が逃げ出していたという話を聞いたことがある。
つまり将校あたりにエゲツない行為をされたまらず逃亡とのことだった。
外観は立派だったが慰安に使われていたんだろう。
時々、家族連れが裏庭でのんびり遊ぶ光景を見たことがある。
なかなか優雅な雰囲気だった気がする。

昭和20年代だっただろうか、当時、銀座の和光も接収されて米軍PXデパートだった。
その近くに天賞堂があって模型を扱っていたようだ。
そこで将校が模型を見て製作を依頼したのが真鍮製模型の始まり。
それまでは紙、木、金属などで構成した模型だったんだろう。
直接注文したかどうかはわからないがブローカーがいたことは確かのようだ。
そのブローカーが金属加工業者を募って製造したのがUnited合同というネーミング。
カツミ模型店、鉄道模型社、天賞堂など中小のメーカーがあったようだ。
それらで大量に製造して米国で販売するルートが出来ていった。

それぞれのメーカーで特徴がある製品だった。
また、それらのメーカーから独立してたくさんのメーカーが誕生し、輸出産業から国内販売に移ったことと、創業者が老齢化したことで衰退したが今でも数社が残っているようだ。

その当時から少し後になった晩年の輸出用米国型模型を数多く所有している私としてはなんだか誇らしいというか日本の産業史に関わっているような気がしなくもない。
カツミ模型店が米国バルボア社に輸出した機関車。
この機関車はサザンパシフィック鉄道の4404機にしている。
しているというのは元々真鍮むき出しで輸出されたもので私がペイントした時にそのナンバーにしただけ。
ジェネラルサービス機として南回りで西海岸オークランドからヒューストンを走っていたもの。
4-8-4という動輪が4軸で前後に2軸の台車を備えている。
この軸配置は日本には当然なく相当巨大な機関車。
長大な貨車や客車を高速でといっても80キロ程度だろう、走っていた。この鉄道会社は石炭ではなく重油を燃料としていたのでそれほど煙害はなかっただろうが二酸化炭素中毒を防ぐために煙突には煙の方向を変える集煙装置が付いている。
日本ではトンネル内で煙による窒息死をした運転手が数名出たらしい。

これ以降のGS4-8-4は機関車上部をスカイラインケーシングで覆い集煙装置は付いていない。
こんな機関車を日本の零細な工場で製造されていた。
主要パーツのロストワックスは支給され日本は真鍮板、挽物、プレスなどの部分を作り組み立てていたと思う。
当然、数量はロストワックスの数量しか製造できないので横流しは大して出来ない仕組みだったがそれでも数輛は国内のお大尽に流れかなり高価だったようだ。
私のコレクションはほとんど米国からの逆輸入品。
つまり手に取ることなく米国雑誌の広告などで発注したもの。

鉄道模型はメイドインジャパンかどうか関税で引っかかる。
一応、芸術、工芸品とは認められていなかった。
かといって純粋な輸入関税でもなかった気がする。

1960年代は売春宿の稼ぎの他に着々と輸出で稼ぐ時代でもあった。


2019年6月18日火曜日

鉄道模型 Southern Pacific RR の巨大機

巨大機といえばユニオンパシフィックのビッグボーイあたりが鉄道好きには知られた存在ですかね。
蒸気機関車の話です。

私のメイン鉄道はサザンパシフィック鉄道です。
大陸横断鉄道は東からユニオンパシフィック、西からサザンパシフィックで合流。
このおかげでアメリカの経済は一挙に発展しましたとものの本にありました。
色々犠牲、原住民のインディアンやら自然界のバッファローなどなどほとんどが蹴散らされて完成とあります。
大平原を一気に英国移民を主体に拡張したUP、シエラ山脈を越える難工事を中国人労働者を主体に通していったSPという図式。
この関係は最後まで続きSPはUPの支配下になっています。
SPにとっては常に山脈との戦いという難航工事が伴っている訳です。
平原を走る路線は吸収合併していくテキサス、ヒューストンまでのSP&NOと言われる路線。
これはメキシコ国境をこえて侵入していました。

1920年代にこの南部沿いの大陸横断でも需要が高まり導入されたのが4-8-4という機関車。
これはジェネラルサービスという貨客両用で走る高速列車の牽引車でした。
当時の高速というのは80マイル/時らしいんですけどね。
このスピードで大陸を渡るには3日程度かかったようです。

西部の機関車は結構限界値が大きいので4-8-4は各鉄道では主流になりました。
限界値とは曲線限界とか車幅や車長などあまり限界はなかったようです。
この端正な機関車はGS-1と言われてロスアンゼルスから南部を走り抜けた訳です。
テキサスは貿易港でヨーロッパから荷物が運ばれる基地でしたからここからカリフォルニアまで一直線に運ばれる訳です。
模型はバルボア発売、カツミ模型店製造で輸出量は不明ですが数百ですかね。
カツミ模型店は走りの良い模型がポリシーで静かですね。
走行部分の設計がいいと思います。
有名な天賞堂は走行部分の設計でカツミ模型店に完敗です。
レイアウトを走る事を重視した点で当時は相当な需要があったと思います。
しかし、観賞用とかコレクション用としては物足りない無骨なデザインかもしれません。
一つは未塗装で出荷している点ですかね。
カツミ模型店にしては繊細に作り込んでいる機関車だと思います。
というのは、バルボア社でマスターシリーズとして格付けしています。
こだわったモデルということになるんでしょうか。
1970年製造で価格は150ドル程です。
半世紀前の150ドルはどの程度なんでしょうか。
現在の中古価格は450ドルほどですかね。
韓国製の高級モデルは1000ドル以上ですが販売価格とあまり変わらない。
それだけ値上がり率のいい時代の製品ということで納得です。
自信の証というかネームプレートがついています。
元々のテンダーは角形だったか形式4輌目のせいか版だービルドテンダーです。
SPは石油が燃料です。
蒸気機関車といえば石炭だと思っていたんですが石油でボイラー加熱をしていたんですね。
煙も少なく、機関助手が石炭を焚べる手間もなかったと思います。
SPはそれでも煙害に神経質だったと見えて煙突にすす払いがついていました。
煙突の前後についた集煙器ですがこれは高く上に飛ばすらしいです。
それでも大平原は風も無かったんでしょうかね。
日米開戦前に西部への物資確保は完成されていたようですから日本の物資ではどうにも立ち向かえないというのは明白でした。
なんでアメリカにいる日本人が物量が違うと言わなかったんでしょうか。
それが当時の日本人は甘く考えていたとしか思えません。

戦後生まれの私にはアメリカと戦争をしたということがあまりピンときません。
しかし、戦争被害は原爆に及ぶというアメリカの傍若無人とそうなるまで甘い見通しでカミカゼなどという風土じゃ勝負にならないことは明らかでしょうね。

さてそんなサザンパシフィック鉄道の紹介はまだまだ続きます。

2019年6月15日土曜日

真鍮製鉄道模型の素晴らしさ 天賞堂GN F8機関車

真鍮を人間が加工して半田付したパーツがディテールを盛り上げ美しい。
鉄道模型は機械美というかシルエットを楽しむことがある。
基本的にはレールを張り巡らせたレイアウト上を走らせる世界観を楽しむ訳だがレイアウト上で一番は動き回る列車たち、特に機関車だろう。
日本は機関車が列車を牽引することより電化で動力車が主体になった。
いわゆる、箱物モデルで長編成で楽しむが、機関車は単体でも楽しめる。
走らせれば単行といって実際にもあったし、ディスプレーでも想像の世界が膨らむ。
この機関車はGreat Northern鉄道(GN)、最北の大陸横断鉄道のF8コンソリデーション。
1975年製で天賞堂が北米に500輌輸出したブラスモデル。
GNはカスケードトンネルという難所が有名。
当時は日本に数多くの輸出用鉄道模型製造会社が存在し天賞堂は東京都の優良輸出会社として表彰されていた。ドルを稼いでいた訳では高度成長期を支える企業だった。
当時の天賞堂モデルは高価な上になかなか入手困難だった。
この1975年製造モデルは500輌生産されこのモデルは432輌目のようだ。

パーツは米国から支給されるものも多く製造数が限られていたからだろう。
多少、国内販売が許されていたものもあり市場に出ていたものの一つ。
そんな米国型にはまると大変な思いをして収集することになる。
誰かが収集癖は麻薬みたいなものだと言ったが麻薬は手を出したことがないので不明。
この機関車の本物は1930年以前の機関車だろう。
日本では9600型という有名な機関車と同じ軸配置でサイズは1.3倍以上だろうか。
ボイラーがグリーンに塗られキャビンの天井は茶色、前部はシルバー。
前部にシルバーが多いのだがこれは前方から認識しやすいということらしい。
北米の鉄道はほとんど単線で所々にすれ違うための退避線路やら給水タンクなどが配置されていたようだ。


購入当時は一日中眺めても飽きなかったから高価なものでも元は取っているだろう。
現在もこのバランスのとれたF8には見惚れる。

2019年6月12日水曜日

ホンダビート の定期点検

ビートが7月車検です。
バックカメラをどうするか。
幌のスナップはモノタロウで購入できましたので自分でつけます。
3000円近くするんですがないとどうも不安。
ホンダビートの幌は両端をスナップで留めるようになっています。
その部分がないとビニールの幌が縮まって丸々というのを見ました。
なので縮防止用ですかね。
幌を広げる時にフロントウインドウの枠に2つフックを留める。
後部のボディにホックで留めると四箇所留めることになります。
たった4カ所で幌の可動部分が固定していることになります。


この右端がスナップであとはビス留めで脱着します。
幌を開けるときはスナップだけ外します。
これは最近リアウインドウをコーティングする作業の時のもの。
右の中ほどにあるプレクサスで汚れ落としとコーティングが可能です。
内部はキャビンで磨くのはほぼ困難です。
シートの後方に巻き込み防止のスクリーン、ヘッドガードなどがあるから。
そこでウインドウのチャックを開けて普段は内側に入れて幌を開くんですが、このように外に出してクリーンナップする方が簡単です。
この状態はエンジンルームを開けるときも同様ですがその場合は幌の後方全体を留めているビスを外して捲り上げちゃえばエンジンルームは丸裸になる。
ミッドシップエンジンはシートの後方ですからメインテナンスはしづらいですね。

さて定期点検といえば、COPDと脳血管内科が月曜日にありました。
COPDは肺胞が壊れてしまう病気。
つまりタバコの吸いすぎが原因ですから禁煙と吸引薬で進行を遅らせています。
脳血管内科は脳梗塞の再発防止が目的です。
これはワーファリンといういい薬がありますがそれでも再発を完全に防げるわけではありません。
脳梗塞は結構厄介な病気で何度も繰り返して死に至るか麻痺が広がることになります。
現在は左半身の痺れ程度で麻痺はありませんがもう一度再発すれば必至です。
言葉が喋れなくなる方、手足が麻痺する方など脳の血管に血の塊がつまる場所でその先が血液が行かなくなり機能が死ぬことになります。
心臓の微細動が続くと心タンポナーデといって心臓の中に血栓ができ脳に流れれば血栓が大きいので深刻な状況になるようです。
長嶋茂雄さんとか田中角栄さんとかが有名です。
そうならないように心臓の動きには注意が必要ですがどうなっても血栓ができなければいいわけで、非凝固薬を忘れずに服用になります。
それらの定期点検は3ヶ月毎に行なっています。
呼吸器内科は時々、肺機能検査とか胸部レントゲンなどで調べます。
肺機能が落ちれば肺胞が壊れ、気管支狭窄が起こっているというか進んでいることになる。
胸部レントゲンで肺ガンを早期発見できるなどなどが検査の目的でしょう。
車のようにパーツ交換はなかなか難しい。

2019年6月9日日曜日

梅雨ですね

今日は雨もですが寒かった。
長袖のスエットとダウンベストでも寒かった。
わんこの散歩で夕方まではなんとかなりましたがさすが夜はガード下。
こうなると1キロ程度なので今日は9千歩弱。
梅雨でこんなに寒いのは昔、冷夏だった時を思い出す。
あの年は米が出来なくて、外米などが流通していた記憶。
そんなに寒くなるのかなあ。
何しろ、しとしと雨が続いて夜間プール開放がほとんど中止だった。

梅雨は湿度がやたら高くなる。
気温と湿度は関係があるんだろうな。

明日は病院で定期点検を受ける。
血液検査と診断。
薬を貰うのが大変だ。
雨だろうからクルマで通院です。

2019年6月8日土曜日

プレオリンピック

プレ五輪って表現は昔のようだ。
今はそんな暇な選手はいないのか。
ロードレースの試走会が開かれる。
昔ははっきりプレ五輪といって開催されていた話だろう。

ロードレースとはサイクリングのような競技


120人が走るようだ。
本番は250キロ。
武蔵野の森から富士山をめぐるコースで富士スピードウエイがゴール。
プレ五輪は200キロ程度だろう。
富士山をめぐる部分が省かれている。

山中湖は2度走る!

そうなのだ平野から旭日丘まで走る。
パノラマ台を経由して平野から旭日丘まで逆走する。

これは山中湖がメインステージと言える。

私のマンションの前を走るから特に出かけるわけではない。

どんなギャラリールックで見るのかねえ。

7月21日なので7月20日以前に上がるかなあ。
翌週がプールサイドパーティになっている。
さてどうしたものか。

50周年記念行事

今月末に式典と祝賀会が開かれる。
その計画を色々討議してわかることがいくつか。

実行委員会の分科会でそれぞれの役割で進める。
一応、招待者の状況は担当者が優秀で逐一報告がある。
その他は難しい。
なんだかそれぞれの担当を勝手に決めて進めればいいという間違えが多い。
総括部門がそれぞれの意見を合わせて全体像を作らなければ統勢が取れない。
それが解らない。
情けない話だと思う。
全体を考えて進めるということがない。