2014年7月21日月曜日

富岡町 元町長死す

東日本大震災以降立ち入り禁止区域になっている富岡町。
昨年選挙に敗れたが遠藤元町長が亡くなった。
この方とは2005年に初めてお会いした。
2006年から震災の前年2010年までお世話になった。
品川区の児童50名を連れて富岡町で合宿した際、町を上げて協賛頂いた。

何故、富岡町だったかといえば原発の町だったからだ。
原発見学の名目でバス代は無料ですんだ。
交通費はすべて東京電力持ちで5年間、毎年福島第二原発の見学もした。
合宿施設は富岡町グリーンフィールド、プールはリフレ富岡。
練習後は温泉入浴付き。
忘れられない5年間だった。

東日本大震災以降、町ごと郡山市に現在も仮住まいしている。
遠藤元町長が何故、選挙に負けたのかは判らないが元気が無くなったんだろう。
それまで十数年町長だったし、精力的に町の発展に手腕を発揮されていた。
毎年、訪れるたびに懇親会を開いて頂き品川区との災害協定など本当に頑張ったと思う。
ちなみに品川区も東京電力火力発電所があり立場は同じということだ。
原子力と石化燃料という違いでどちらも現在は環境汚染を続けている。

原子力発電所誘致の魅力は金と言われている。
もちろん、発電所の税金は原子力だけではないのだが何もない田舎にとっては大きすぎる。
しかも、雇用が生まれ福利厚生、福祉とも東京並になる。
とどのつまりがそのツケが回ってくるということだろう。
いつか必ず自分たち以外の力で得た金の代償を払う時が来るという現実。
判っていただろうが厳しい。
事故前に遠藤元町長が原発の町にしなければ地域は持たないと言っていた。
零細漁港と零細農家が地場産業であとは観光だった。
新幹線もなく常磐道路の終点の富岡町、東京からほぼ3時間は優に掛かる。
世話になった方々も相当疲弊していると思う。

原発事故は永遠につづく。
そして15000人の町民は戻りたくても戻れない。

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