アメリカンポップス全盛期に心ときめかして聞いていた音楽はいまでも輝いている。
日本の放送局は「9500万人のポピュラーリクエスト」とか「ザ・ベストヒットパレード」などを聴き始めるが、もっと新しい音楽となるとFEN「極東放送」だった。
米軍軍人向けの放送で今でもあるが当時は「Teenagers on Parade」「The Best 20」が最新ポップスを掛けていた。
ベスト20はビルボードHOT100の上位20曲の紹介番組。
30分放送だったので掛かるのは数曲だがランクの20曲を発表していた。
これを聞き取りながらノートに書き写すわけだがなかなか手ごわい。
当時、オープンリールデッキを持っていたので録音して何度も再生し、後日「ミュージックライフ」などを見ながら訂正したもんだ。
1962年、中学1年の1月に初めてレコードを自分で購入した。
これが、フォーシーズンズのシェリーとプラターズのオンリー・ユー。
なんと、グループが好きだった。
FENで放送される曲がすべて日本で発売されるということはなかった。
しかも発売はほぼ半年遅れ。
中学校から都電で銀座へ出て銀座ヤマハ店に入り浸ることになる。
なぜならそこにはビルボードがあり、輸入盤を注文できたからだ。
シングル盤で700円という高価なお買い物。
注文から受け取るまで3-4ヶ月掛かる。
当時は1ドル360円だからほぼ2ドルということでヤマハも儲からない商売だと思う。
そしてヤマハの綺麗なお姉さん方と顔なじみなった。
質問、「このビルボードはどうするの?」と聞いたらまとめて捨てるとのこと。
おいおい、じゃあ頂戴よって話になって、3ヶ月毎くらいにどっさりと貰っていた。
当時のビルボードの表紙はほんと業界紙で記事も浮ついたものはなかった。
レコード会社の動向や放送局などの話題が多く、あとは宣伝。
じつに質実剛健というかつまらない雑誌だったと思う。
しかし、そのランキングは権威があった。
当時はキャッシュボックス誌というのもありランキングは若干違っていた。
このキャッシュボックスはかなり進歩的な作りでポップな感じだった。
表紙も厚く立派で当然ヤマハの綺麗なお姉さんに頂いていた。
中学1年程度で英語の雑誌を読めるわけではないので観るだけの宝物。
グローバルな感じでヨーロッパ各国のランキングもあったような気がする。
ほんとうに垢抜けていた。
キャッシュ・ボックス誌は1990年代に廃刊になったらしいが惜しい。
ビルボードは今でもオーナー会社は変わっているが残っているようだ。
ビルボード誌に掲載されたジュリー・ロンドンのアド。
これを見るとシングルチャートよりLPチャートのほうが権威があったと思う。
ぽっと出の兄ちゃん姉ちゃんより商売になる本格的芸能人の広告が多かった。
それにしても当時の宣伝センスは凄い。
モノクロ写真撮影といい、フォントは当然イラストレーターが書いたもの。
こんな世界はもうない。
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