我々の世代つまり、戦争体験はしていないが戦争の傷跡をたくさん知っている人間は核、原子力については特別な感覚があるとおもう。
日本は原爆でトドメを刺されて敗戦という感覚。
たくさんの日本人が苦しみ死んでいった事実。
僕らが20才位までは原爆被害者は家から出られなかったという話を聞いている。
酷い姿で苦しむ様子を見せたくないという本人、家族の意向だろうか。
可哀想になあとだけ思っていた。
核兵器について米ソでの開発競争、力で制すという構図だろうが、ソ連が崩壊したのは核兵器開発で負けたわけではなく統治できなくなった政権だろう。
つまり、戦争ではなく民衆の力の方が核兵器より抑止力、矯正力が働く事実もある。
それ以来、低開発国が未だに核兵器を持とうと考えているようだが国情は最貧。
日本は資源がないハンデを理由にコストが安いと間違えた宣伝で原発を推進。
原発コストが如何にコストが掛かるかを考えず信じた国民、いや政治家も事実は判らなかった。
確かに、石油などに頼った電力政策には限界があっただろう。
原発事故ではじめて原発のコストが見直された。
つまり、放射線物質を管理し続けるには数百年、多額のコストがかかり続ける。
なんのことはない、電力消費した時代のツケを将来の人間が払い続ける訳だ。
ちょっと先輩の吉永小百合さんの記事
0 件のコメント:
コメントを投稿