2014年8月12日火曜日

衣食住 ほんとそれだけでいい訳ない。

私の場合は生活のための仕事が中心だと思う。

といっても制限時間ってのがあってせいぜい2時間だろう。

次はネットで情報を得る。

これは結構長々、だらだらと続けていると思ってもせいぜい2時間を数回


後の隙間はどうするかが衣食住。

「衣」ったってあるものを引っ張りだして着るだけ。

どうも服は手に入れた状況が目に浮かぶ。
これがかなり思索に耽る大切な時間のような気がする。
毎シーズン、こんなものを着ようと決めて不足分は補う。
時々あったはずのモノがない時はMy奥様に要らないものとして処分されたと理解する。
まあ、自然淘汰は無理なんで強制淘汰が一番だと最近は観念している。
My奥様にもその選択基準があるようだ。
流行りものはドンドン捨てられるが数十年ものはどうも捨てていない。
となるとその系統は残り続けるから中心はそれになる。
今年の夏はTシャツはやめようがテーマ。
老人らしくテーラードまでは行かないがボタンダウンでも着て乗り切る腹だ。
当然、手持ちでは足りないので補充、補完。
またまた、その系統が増えてしまったなあと反省もある。
というのはこれからの着る年数を考えるともはや、消費できる量ではない。
これが私が去った後に残されたものの課題になるのも辛いんだが、全て処分してといってあるんで大丈夫だろう。

「食」はほぼお任せだがMy奥様が外出するランチは時々自作。

といってもコストコの肩ロースを焼くだけ。
ものの10分と言うわけでもないが焼いたらすぐ食べてしまう。
ほぼ、腹が張る状態でサラダとハッシュドポテトかフライドポテト。
気が向けば白米150gパックに生卵。
サラダは100円の千切りキャベツを買ってきてカレー、ミートソースなどをドバっと掛けるとこれまた美味い。
そういえば、入院中の友人が病院のご飯はまずくないけど味気ないといっていた。
薄味=健康的ってことかもしれないがそんな呪文は要らない。
私の入院時には醤油だけは用意した。
なんでも醤油を1-2滴掛けるだけで王様のごちそうになる気がする。
なんでもだった。
ご飯にも1-2滴、味噌汁も1-2滴、積もり積もって一食10滴くらいになった。
朝はパン食だったのでミニストップコンビニのコーヒー。
これ、病室を抜け出す訳で、看護師にしっかりとコーションイエロー!
最近セブンのコーヒーが出るまでは最高のコーヒーだと思っていた。
コーヒーの苦味や酸味は食欲増進になった。
ちょうど、土用の丑の日に当たった時はラッキーだった。
うな丼、肝吸い!
私の入院は虫垂摘出時、食べれない日が2日以上続き、そうなると重湯からはじまるのでまともな食事まで丸々3日かかった。
こんな、ひもじい思いの後の食事は幸福感に満たされ、内容じゃないことが判った。

「住」は生活しやすい場所が最優先。

次に狭いこと。
狭いとそれ以上のモノを増やすときに必ず何か捨てないと置けないという物理的制約が効く。
その代わり、人を招くなどという大それたことは一切なくなる。
時々、呼びたいなあと思わないこともない。
でも時々なんですぐ忘れるからやっぱりどうでもいいんだろう。
山中湖もバス停から歩いてすぐ、50平米以下の最小単位だから購入。
そうでなければ高い、広い、居場所がないものとなり諦めただろう。
ちょいの間は四畳半に限る。

これが衣食住の現実。
つまり、だらだらと過ごす為の最小行為をする「際、時間、場所」つまりTPOなのだ。

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