小学校は毎年20日以内の水泳指導をしています。
その指導に200人程度の外部指導員が配置されています。
公認指導員と補助指導員、つまり学生などに依頼して埋めるわけです。
公認指導員だけで賄えれば一番いいのですが難しい。
今年度の指導反省会議が開かれました。
各学校担当の指導員が報告。
来年度よりよい水泳指導に向けて意見交換です。
30校以上ありますので学校の方針はさまざまです。
毎年、提案をして実施して頂くようにお願いはしますが、主管は当然学校にありますから学校方針には逆らえない。
指導員配置の目的は水泳指導ですがそれだけに留まらない学校も有ります。
生徒数で開催時間も違います。
多いところで4クラス、実質6時間以上というところから2クラス3時間程度まで様々。
共通するのは水泳指導ということですがどうでしょうか。
今年度も保護者からクレーム、しかも教育委員会に直訴。
内容はアダ名で呼ばれたのは人権問題とのこと。
聞いたら同じ姓だったんでアダ名を付けたということでした。
軽率な行為と言わざるを得ないのは呼ばれることに同意をえていないことです。
ひとりを番号で識別するならすべてを番号で識別するという時代になればその同意が必要だということです。
10年前ならこんなこともどうってことないですが今はダメ。
教員によると4つの方針の第一が人権尊重。
人権尊重とはなんでしょうか。
学校としての人権教育の目標設定などあるようです。
私は行き過ぎた人権尊重というのは問題だと思います。
人権尊重の定義認識がまだ稚拙な状況という意味です。
不条理を判断するのはモラルかもしれない。
先生と生徒の関係より人権が大切なんて思いません。
大体、親子だって人権は尊重するが親は親ですから。
親としての教育に過保護な人権が必要でしょうか。
水泳コーチとして言えば、
安全管理に関して問題があれば厳重注意します。
厳重注意とは生徒にとって泣きたくなるほど怖いかもしれない。
しかし、そうしなければ事故は防げない。
自分の身を守る為の水泳が一番です。
運動のため、体のためじゃないんですよ。
水から身を守るために如何に注意が必要か。
安全義務違反以外は丁寧に対話しながら進める。
つまり、技術習得はお互いに理解して行われるが安全は管理者と履行者の違いをハッキリする訳です。
これを校長が保護者にコーチは少々スパルタですなどと言おうものなら、暴力コーチとなってしまいます。
保護者の教育程度だけでなく、スパルタの意味を暴力と解釈する教育を受けたということです。
それは先生は反省するべきでしょう。
その言葉を使うということではなくそんな教育をした教員が過去に居たということ。
そして、スパルタ教育=暴力指導という報道。
つまり、日本の報道レベルはソレまでです。
厳しいということはいけないことになってしまった。
やさしい教育とは弱い教育だと思う年代のものにとって、厳しい教育が良い教育だと身にしみています。
嬉しい事に厳しい指導を望む子どもたちもいます。
さてスパルタとはどういうことか。
これは指導者の命令に絶対服従です。
これは暴力行為ではありません。
安全管理責任者に絶対服従することは当たり前です。
しかし、今は警官が危険だから下がれと言われても下がらない人間がいても当たり前です。
そして、当然その人間は危険な目に合う。
となると、その人間はそんなに危険だとは思わなかった。
注意する警察官の説明不足だ何だと損害賠償請求等平気で主張したりします。
そういう時代になった。
警察官も諦めているというかそれが当然だと思っています。
ただ、交通違反など法律を犯した事実があれば別。
なんでこんな日本になったんでしょうか。
アダ名で呼んだら人権侵害になる世の中です。
いずれ立ち行かなくなるでしょうが私が死んでからにしてほしい。
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