生まれて65年間東京電力お世話になり、そのおかげで文化的生活が進化したのはいうまでもありません。
福島原発事故以来、東京電力の迷走はすべて想像をはるかに超える事態で最早、人間の能力を超える事態だということは間違えありません。
私のように利便や生活向上に電力を利用してきた東京電力消費者は今後、そのツケを払わなければならない。
しかし、ただの処理だけに支払い続け未来が見えないというのもバカバカしいです。
つまり、支払うには現在より進んだ方法を見つける為にということでしょう。
進んだ方法は単純に原子炉をより安全なんてバカバカしい基準ではなく、原子炉に変わる安全な発電ということです。
自然エネルギーということかもしれません。
ツケを払うには払う理由が必要です。
だって、原子炉は世界一安全な発電装置だと言い続けての人災です。
かつて、品川支社の協力で毎年、富岡町に水泳合宿していました。
富岡町は現在、避難地区です。
合宿は東電の手配したバスで送迎して頂き、原発見学をしていました。
同乗した東電社員に浜岡原発事故で左遷された方がいました。
彼はあれは事故ではないと言っていました。
放射能漏洩は必ず起こるがそれを拡散しない処置をしたということです。
その時はそうだなあ、パイプだって老朽するし継ぎ目だって壊れるだろう。
つまり、その時点、あるいは事前に漏洩が起こることは防げるということです。
厳しいだなんだいっても身内が作る原発委員会などそんなもんです。
みんな知っているのは必ず漏洩するってことです。
それをどの範囲で止めるかだけです。
放射線汚染物質は出続けているんですから。
その廃棄施設もないままどんどん増える汚染物です。
洗濯物が溜まって家中、汚れた服だらけなんです。
洗濯には数百年ですからね。
東電さんは壊れても安全な発電装置を作る義務があるし、その資金を消費者に負担してと頼める。
ソレ以外、原子炉を廃炉しても今後も必ず起こる汚染漏洩や汚染物処理についての負担もしなければならないと説明がつく。
それを、原子炉を再開して今の事故処理の資金だけを作ろうとするのは叶わないし、その資金で新しい発電なんて無理難題。
早い決断がより少ない資金で済む。
長引けばドンドン膨らむ処理費用、賠償費用なのだ。
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