2014年11月9日日曜日

規律違反の処分 もっともネガティブな話

世の中、時代とともに規律という意味が変わっている。
規律を正すといいますが、いったい規律って何でしょうね。
個人的なイメージですが、皆が仲良く出来るためのお約束。
まあ、幼稚園児でもそんなことは当たり前でしょう。
ところが大人になるとこれが出来ない。
あっちを立てればこっちが立たずということもある。
原点を見失っている訳です。
ひとつは人間関係が優先するアンフェア。
もうひとつは色々守ることのアンフェア。

私は常にフェア精神でいたい。
それで人間関係が崩れても、信頼関係はいつか取り戻す。
少なくても自分を守るためにアンフェアは最悪を招く。
自分本位な人間関係なんて所詮作り物と思っています。

処分とはどんなもんでしょうか。
例えば、友達との約束事で「嘘」はつかないがあります。
嘘を知った時、自分なりに処分を決めますよね。
もう付き合わないとか、心を閉ざすとかの「処分」あり。

ひとつの小さな社会の場合はどうでしょうかね。
様々な人間関係以外に要素が増える。
警察署という小さな社会は実は上に県警、警視庁などがあり、公安委員会なるものがあり、法務省がある訳です。
この関係が容易に起こす処分の過ちは隠蔽です。
つまり、警察署内部で始末しようとする体質です。
どこまでが始末できる範囲かは決っているから隠蔽。
外部に知らせず、許される範囲の処分が戒告でしょう。
次に起こるのは内部告発。
県警に内部告発をすれば、適切な処置でないことになり、責任者の責務が問われる結果に成ります。
人の口に戸は建てられないということが古来からの常識。
この常識を失ったのはバブルの幻想です。
第二次大戦後に乱れた規律はバブル時代まで成果主義が最も優先される時代でした。
仕事が出来れば何してもいい時代でした。

戦前は規律を守る意識が高く、規律は最大の義務でした。
それはそれで軍国主義になり不幸が始まった。
その結果、規律が全ての時代は終わった。
今は不景気でフラストレーションが貯まる時代です。
それを発散することで規律は破られる。
あるいはバブルの幻想で未だに規律より効率と考えている人もいるでしょう。
だから、規律を守らなければならない時代になった。

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