2019年8月8日木曜日

表現の自由という一文を利用する法則

朝鮮人慰安婦問題を韓国で反日の旗頭にしているのは周知の通り。
いつまでも朝鮮人は根に持つタイプというかそれをタカリの材料にする卑しさは呆れる。
何も求めず謝罪だけならばとうに済んでいるし、その救済についても合意している。

明らかに韓国は選挙に反日を持ち出す。
その卑しさは日本人には理解を超えているし利用される日本は迷惑な話。
半世紀以上前の話を永遠に持ち出すねちっこさは半端じゃない。
韓国人とは絶対付き合いたくないと確信する。

最近、表現の自由と称してその慰安婦像まがいの展示物を話題にして喜んでいる輩がいるようだ。
日韓の問題を揶揄するような展示をして喜ぶのは誰だろう。
想像するまでもない話。

昔、女性の裸を書籍にのせる制限について表現の自由ということがあった。
当然、どこまでも見たい人がいれば載せて表現にすればいいこと。
制限するから表現の自由の話になる。
女性の裸体と慰安婦は同列なわけだ。

日本国民は表現の自由を適切に守っている。
しかも、程度をわきまえながら守るということも理解している。
時々、その表現の自由を悪用しようとする人がいても無視だろう。
レベルが低いことでいちいち報道が書き立てるのは商売。
表現の自由が商売になるのは報道くらいだろう。

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