競技スポーツを指導するコーチは難しい時代になっている。
単純に技術指導と闘争意欲指導とあると思う。
技術指導は昨今の情報量を考えれば誰でも出来る。
合理的に必要な技術を詰め込むだけが技術指導だろう。
これすら出来ないコーチも多いんだがそれはさて置き。
問題は闘争意欲をどう煽りコントロール出来る規律を指導するか。
これが難問だろう。
我々の半世紀前なら親は自分の子供に手を上げられないが厳しく指導してもらいたい。
こんな複雑な感情でコーチの体罰指導というか厳しい指導を任せていた。
コーチもそれらに親心があったと思う。
強くなるための試練というやつだ。
試練は競技の勝ち負けで味わうのが正論だろう。
しかし、誰もが勝ち負けの結果で立ち向かえるとは限らない。
本人は一生懸命練習しても勝てないとなると挫折するのが9割だろう。
残る1割が立ち向かう。
そして負けるとまた9割が落ちる。
結果として数回負ければほぼ一握りしか残らない。
それがチャンピオンになる前提だろう。
コーチは指導できる人間に限りがある。
つまり、一流になれる人間ばかりを指導しているコーチがいれば、絶対になれない人間ばかり教えるコーチもいる。
そうなるとなれない人間ばかり教えているとコーチも同化する。
つまり三流コーチ。
しかし、問題は一生に一度、チャンピオンになれそうな人間に出会った時だろう。
コーチは多分才能に気づいてつい力が入る。
その時に親心があればどうなるだろうか。
暴力に走ったコーチの話
まあ、このかたの場合はどうだったんだろう。
知る由もないが結果として暴力コーチとして処罰される。
もし、彼が親に才能があるんで任せてもらえるか聞いていたら違ったかもしれない。
気まぐれで暴行された人間は堪らない。
そんなことがないスポーツコーチが必要だろう。
暴力はいけない、体罰はいけないなんてどんなコーチも知っている。
しかしコーチも人間、許せないプレーもあるんだろうか。
何れにしても水泳は個人競技なので全責任は本人になる。
コーチが評価されるのはコーチした人間の成績だろう。
そうなると親心ではなく単純な憂さ晴らしに見える。
ぜひ、こんなことで騒ぎを起こすような指導はやってはいけない。
選手もコーチを理解してほしいが二流以下には無理。
負け犬で戦うのすら嫌な選手もいるがそれって選手じゃないかもしれない。
チャンピオンスポーツの難しさだろうか。
上を目指すには闘争心が必要だろうし、自覚が何より。
自覚させるのがコーチの責任かもしれない。
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