2018年3月23日金曜日

愛しのホンダビート

と言っても実際に乗っているんですけどね。
本田宗一郎さんの4輪進出は軽トラックということですがこれは発売の形態。
実は軽スポーツカーの産物です。
そのスポーツカーは販売には至りませんでしたがエンジンや走行系はトラックに。
まあ、軽のスポーツトラックでしょうか。
1963年の出来事でした。
売れたんでしょうね。
4輪車は順調だったと思います。
N360で軽乗用車のトップブランドになったと思いますね。
1972年にマスキー法という排ガス規制をクリアしたのがホンダということです。
かなり厳しい規制で世界中の自動車メーカーができなかった技術です。
この辺でヨーロッパ特に英国の自動車は米国の輸出が凹んだわけです。
自国のメーカーでさえも作れない規制というのはどんなんでしょうか。
当時のロスアンゼルスは今の北京並みのスモッグだったんでしょう。
同時にホンダは軽自動車から撤退してしまいます。
本田宗一郎が社長を退任した後のことです。
軽自動車は日本だけの規格ですから世界戦略を考えると手が回らないということでしょうか。
実際、シビックは米国ではトップセールスでしたしね。

1985年にTodayが発売され軽自動車を作ることになります。
このトゥデーがしっかりした出来だったんでしょう。
特にエンジン周りということです。
そこで売れることになりライフ再発とつながります。
ホンダビートもトゥデーのエンジンをもとに開発されます。
バブル期でガンガンと資金をつぎ込んだに違いありません。
何しろホンダビートは150万程度の軽自動車になりました。
軽自動車の2シーターで150万は破格というか別次元だったと思います。
当時、2000ccセリカコンバーティブルはフル装備で購入価格で280万程度でした。

それでも3万台を超える販売台数だったようですからね。
バブル弾けた後のことです。
そして25年経った今も2万台は走っている超高性能車だったわけです。
実際乗っていて時代を感じることはあまりないです。
ノーマルステアリングなんで今のパワステとは違いますが軽自動車ですからちょっと重いハンドル操作って感じです。
窓はパワーウィンドーで今と遜色なし。
私のビートはオートロックにしていますのでこれも今と変わりなし。
ライトはHIDバーナーに変更していますので眩しいですが明るい。
ハウジングの放射カットが違うんでしょうがないですけどね。
55000キロなのでまあ死ぬまで乗れるでしょうね。

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