まず、非常に混んでました。
京浜急行で青物横丁まで。
立会川駅ホームから東京スカイツリーが見えました。イオンまで歩いて りんかい線で東京テレポートです。
駅員さんが盲導犬と盲人を案内していました。
東京テレポートから直ぐなので電車で。
臨海線ホームの深いこと深いこと。
これじゃあ何かあっても助からないでしょうね。
入場後、ドリンクコインを購入させられます。
これがバイト代ですかね。
このジンジャエール凄い辛いです。
これにストラップが付いていました。
これで500円ですからボッタクリ、しかも拒否出来ない。
一階のBゾーンでした。
つまり、後方半分の位置です。
そこに人人人で溢れかえっている訳ですよ。
スタンディングってのはこのことね。
まあ、ライブハウスなんですね。
2000人以上入るライブハウスってことです。
これ、消防庁もよく許可するなあ。
それでなくても狭いロビーでノベルティ販売と銭ゲバの呼び屋ウドーさん。
場内は真っ暗に近いですからトロトロと前方へ向かい6列目程度かな。
それでも見えませんでした。
会場が平らで舞台が低いという最悪の設計ですね。
この設計だと洌の前後関係は50センチ以上必要なのに直ぐ前に頭がある。
どんな芸人でも、二度とこのZeppには行かないね。
さて、ボブディランですがオシャレ。
上等のディンガロンハットです。
カントリースーツがいい。
時々ハーモニカ、半分はピアノを弾き語り。
そうです、弾き語りなんですねえ。
サポートバンドは5人。
曲は全てトーキングブルースです。
2時間全てです。
彼のヒット曲はアンコールのBlowing in the Windだけ。
それもトーキングブルースです。
ほとんど同じライブパフォーマンスです。
しかし、全く同じだなあ。
My奥様は全く判らなかったようです。
だからといって悪い訳じゃあないです。
とっても、渋くてイカしていました。
バリトンの掠れ越えには力がありますねえ。
72歳ですよ。
この年でこれだけの声が出れば凄いと思いますねえ。
全て、現役って感じでセクシーでした。
彼はミネソタ州ダルース出身なんですね。
港町、ん、よく似合ってると思ったらなんとヒビングという鉄鉱石露天掘り世界一の街で青春を過ごしたそうです。
まあ、寒くて貧乏って感じですけどねえ。
北海道夕張炭坑とかを連想します。
ダルース、ミッサビ&アイアンレンジ 鉄道って鉄鉱石を港まで運ぶ有名な鉄道会社があったんですよね。
話が脱線したなあ。
1964年ニューポートフォークフェスティバル。
紹介はあのピートシガーですねえ。
後に座って聞いていますよ。
非常にシャープで繊細な曲が多かった時代でボブディランは無条件で受入れられた。
その後、バンドを引き連れて電気楽器を持ち込みニューポートフォークフェスティバルを追い出されたんですねえ。
まあ、保守的だったんですねえ。
後に息子がニューポートフォークフェスティバルに出ているんですねえ。
その後、ボブディランはロックの世界という見方もありますが彼はカントリーですね。
歌を聴いていてなんともジョニーキャッシュを思い出しました。
確かに彼の作る詩は美しい。
どんなメロディーに乗せ歌うかといえばやっぱりトーキングブルースでしょうね。
オーケストラで朗読ってのはあまり勧められない。
それなりに理解出来た気がします。
興行的に観ればちょっと残念です。
彼のヒット曲も聴きたかった。
アンコールで1曲だけですからねえ。
もうひとつ驚いたのは、語りは皆無でした。
歌だけで伝える世界でしたね。
英語なんでどっちでも良いんですがこの構成が彼の主張とも受け止められる。
ライブハウスなのに静かな聞き入る様な異様な世界でした。
お台場の土曜日はかなりの人出で賑わっていました。
同じフロアにあったオールドネービーでキャップ購入。
世界にたった一つのボブディランデー記念品になりました。
さて、これから山中湖出発!
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