男は遊郭、女は歌舞伎という構図だったようです。
それに加え江戸後期には旅行がブームになり現代まで続いています。
しかし、鎖国時代の旅行は金があれば行けるというものでもなさそうです。
旅行の大義名分として信仰が必要だったようです。
お遍路などもその名残でしょう。
江戸はツアーも盛んだったようで、富士講、成田講などと称し旅行を楽しんだようです。
たいがいは神社仏閣でしたが自然も信仰に入れる辺り日本人の解釈が面白い。
富士講などは典型的な文化的信仰だった訳で世界遺産の認定も地理的ではなく文化遺産として認定しているのが理解出来ます。
絵師というのは画家とは一線を引くことができると思います。
庶民文化の絵師はパトロンに買われた画家の成り立ちとは違うということです。
庶民の絵は庶民文化のカタログですがそこに独自の芸術性がある訳です。
西洋ではアンディーウォーホールがでるまでカタログは芸術ではありませんでした。
パトロンが独占するオリジナルに価値を求めたからでしょうか。
絵師は絵本から版画文化を作り多色へ発展させます。
江戸後期には彩色材の輸入が始まり西洋画のような色彩で版画が制作されました。
画材は出版元が握り絵師にその利用を促したようです。
歌舞伎絵、遊女などからブームがはじまり、景色画で爆発的発展を遂げた訳です。
風景画とは言わなかったそうです。
景色、つまりその色あいが重要だったかもしれません。
日本の版画技術や販売は特異ですが庶民は絵が大好きでした。
重要なのは庶民であって1部の特権階級のモノではなかったのも文化として大切。
現代も世界に名だたる漫画としてその文化は成長しているようです。
今日の山中湖は薄氷がはり雲間に富士山というまさに浮世絵風風景。
これを景色にするのは版画技術でしょう。
たぶん、藍色を色濃くして白を浮き立たせる様な色味が想像されます。
こんな絵図かなあ。
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