この富士山、逆さ富士は雪景色です。
葛飾北斎が写実派より印象派にモテたのはこんな技法だったのかもしれません。
逆さが湖面に映るには湖面が波立たない時だけ。
1965年といえばオリンピックの翌年、わたし高校一年生です。
湖面は河口湖。
御坂峠は河口湖から137号線と708号線の間にある峠。
駿河方面(東海道筋)から観ると裏富士といわれるところ。
今は裏表はあんまり言わないですけどね。
新幹線から見える富士山は表富士なんですねえ。
近いのでそのうち立ち寄ろうかと思いますが、絶対に逆さ富士は不可能です。
河口湖が近過ぎる。
つまり、富士山は御坂峠からですが逆さ富士は湖畔からです。
こんな合わせ絵を北斎はいとも簡単に描いちゃう。
こんなだったらいいだろうなあって幻想ですから。
だから富士山が雪化粧と夏景色でそれを暗示しているというのが私の推理。
1965年に話を戻そう。
高校一年で私の成績はガクンと低下。
数IIBがほとんど理解出来なく赤点になってしまった年です。
ヨタハチ、シルビアが発売、本田がF1でグランプリ。
クルマもガンガンとスポーツカー時代ですよ。
日本経済はオリンピックを機に一気呵成に成長路線。
赤点とってもルンルン。
巨人、大鵬、卵焼き時代。
いやいや文化もへったくれも無しで急成長。
実は地味に富士山レーダー観測が始まった年でもあります。
「富士山頂」新田次郎ですよ。
映画じゃあ石原裕次郎でしたが官僚にも骨が合った時代。
ドラマティックでしたねえ。
いま、富士山ドームは富士吉田に下ろされて展示されています。
139号線から観えますが大きい。
あんなもの富士山へどうやって運んだかは小説で読み解きましょう。
私の学校にプールが出来た年です。
早速、水泳部を作って遊んでいましたねえ。
水泳部ったって友達数人とですから下級生も上級生もいません。
ただ、プールに入って競争するだけ。
練習はなしです。
文化祭で水泳大会が開催されて50M背泳で32秒優勝でした。
10月なのに屋外プールで水泳大会なんて無謀でしたねえ。
後輩からは今でも夏合宿の案内が来ます。笑
ギターを始めて、バンジョー買いました。
ニューマウンテンドテカボチャってバンドを作って練習。
やたら応募好きなメンバーがドンドン売り込み。
始めは「高校1年」とかいう雑誌の取材。
芝離宮でギターもって写真撮って雑誌に載りましたよ。
勉強と趣味の両立みたいな内容でしたけど、赤点は内緒でした。
とにかく楽しかった1965年です。
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