2019年8月3日土曜日

人間は一人一人違うのは当たり前 私のおしっこの仕方

その当たり前がどうも曖昧。
自分を基準に考えるのが普通の人だなあと思いました。

この記事

障害者という括りはどこからどこまでという人間を区別するような話ではなさそうです。
どうも私も障害者という括りだと思う時があります。
度重なる膀胱癌で排尿が止まらなくなったというか止めなくしたことでそうでなかった時期と比べると障害かもしれないと思います。
排尿が止まらないと常に尿パッドを付けています。
また排尿感、おしっこしたいという神経が変調します。
膀胱内に尿がないのに排尿感があったりします。

膀胱癌は電気メスで焼き切るか膀胱切除のどちらかで放置はないでしょう。
私の場合はメスで焼き切る背術、手術を数回受けました。
結果として膀胱内はケロイド状になり収縮性がなくなって靴底のようなものになっている気がします。
つまり排尿感は150cc程度で起こりました。
夜は2時間程度でトイレでは寝た気がしませんでした。
高速道路のサービスエリアごとにトイレに駆け込む状況でしたね。
これはたまらないと尿パッドをして運転時に排尿してみたところ排尿できることがわかりました。
つまり、出してしまえば収まる話ですがパンツに直接出すことはできないので尿パッド。

それから私にあった尿パッドを選ぶ作業やら、パンツを選ぶなど色々問題がありましたね。
ということでほぼ2年がかりで落ち着いています。
最後の手術から1年5ヶ月経過した現在です。
これは経験したことがある人でもそれぞれ違うと思います。
99%以上の方は普通にトイレで排尿ですから分かるはずがありません。
少し分かるのは女性だと思います。
女性は月経がありその時にパッドを当てて排出物をキャッチしているわけです。
なのでそれが一年中続いていると考えればいいわけです。

これは一種の障害というか普通の人とは異なる状況だなあと思うとなるほどです。
報道記事の方は「れいわ新撰組」から当選した方々について述べられているのは自分を基準にした時に違和感があるということですね。
当然だし、国会議員としての役割(それがあるとして)を果たせるのかということでしょう。
私は当選しただけで役割を果たしている。
国会という場所に存在しているだけで役割を果たしていると思います。

山本太郎さんにしてみれば極端な例を出さないと伝わらないという考えでしょう。
そしてそれに賛同した方が当選されたということは確かに当選者の力だけでなく山本さんの知名度ということですがそれを決めたのは山本さんと当選者で何も違和感はないです。
それが選挙だからです。
党の看板で当選、テレビの露出度で当選などなど大きなファクターは知名度です。
理想としては立候補者の個人的考え、計画などで選ぶべきですけどね。
どうも人は一人一人違うというのをわかっていながらグループに属しているから同じ考えだということに括られ当選する宗教団体議員などいますから選挙は怖い。

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