可愛がっていた動物が往生して4日目。
どうやらペットロスになりそうな気がする。
頭からペットが離れないのだ。
すぐそばに遺骨があるし、写真動画の類は見放題。
葬いだと思う反面、切ない思いが日に日に増す。
亡くなった翌日は大会で一日仕事。
思い出すことも少なかったがそれ以降は家にいるので仕方がない。
12年前の12月24日、遠く三重県鈴鹿のシェルターに出向いて預かったアトム。
数十頭のワンコの中で孤高の一匹というイメージ。
何しろ大きなウィペットだった。
それをケージに詰めて帰宅。
初めの2.3日は尻尾を丸めていたがそれ以降元気になって病院で健康診断。
それほど悪いところもなく風呂に入れて体を洗うと見違えるような姿に変身。
3歳というのは本当だったと思った。
見た目ちょっと5歳以上に見えたしそう言われたんだが若い犬でドッグランに連れて行くと、他の犬がいないところでは爆走していた。
犬嫌いは多分シェルターでそうなったんだろう。
元々、飼い犬で飼育放棄というか育てられずに預けられたようだったので名前もあった。
ラグビーと一緒に菅平にラグビー観戦したのは2009年だっただろう。
もう半年以上で普通にペットしていた。
さて、この中型犬はいなくなると相当な空間ができる。
つまり、あるものが無くなるのはこの歳になると順応することが難しい。
特に一日中足元にいたので動向が手に取るようにわかっていた。
大したことじゃあないと言われれば確かに生き物は永遠じゃない訳で理屈はわかる。
理屈を超える感情の対応だろう。
往生する前から家にいる時は鉄道模型の塗装作業を始めていた。
なんとなく、そうしたかった。
父が無くなる一年前から大掛かりなレイアウト作成をしていたのと似ている。
父は隣の部屋で一日中寝ているかデイケアで出ている間に作り上げた。
まあ、100万以上かかったがその価値は十分あっただろう。
もし、その趣味がなければ一日中父のことだけを考えて過ごす羽目になっていた。
父は胃瘻ををしていたので最低3食の時間は付き合って話をしていた。
父も大変だっただろうが、家族でそう決めたので従い長男として最後の面倒をみることにした。
父は1年弱見ていたのでなんとなく覚悟も出来ていた。
医者にも期限があると言われていたので気持ちよく看取ることが出来た。
アトムの場合は医者に心臓が悪く治る見込みはないとだけ言われ寿命については答えてもらえなかった。
徐々に肥大して肺を圧迫し呼吸が苦しくなるという厄介な病気だがこれは犬種特有のような話も聞いた。
最後の2日の苦しみ方は尋常ではなく昼夜付き添いというか寝ては起きという状態だった。
これがいつまで続くのかという心配もあったがそれなりに呆気なかった。
昨日から睨み合っているデカール。
早く切り出したいがなかなか手が進まず。
いまだに切り出せない。
早く切り出して機関車に貼ろう。
作業をして忘れなければということ。
そうしないとドツボにはまりそうだ。
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