部活を半分引退した3年生の時に横浜伊勢崎町の篠原模型店にふらりと入ってはまる。
進駐軍以来の米国人が顧客でした。
当時はHOゲージと言って1/87のスケールモデル。
30代まで大量にコレクション。
HOゲージを走らせようとレイアウトも作ったんですが6畳間程度じゃとてもダメ。
諦めていました。
60代、Nゲージの1/160スケールならなんとかなるかもと考えちゃいました。
大学生当時も相鉄ジョイナスのチヨダママストアのレイアウトを見たり、伊勢崎町のチヨダママで数両買ってました。
全紙のパネルにレールを敷いて昔のディーゼルカーを走らせて遊んでみたところ、こりゃなかなかいけるということに。
そこで長さ3.6M幅1.8Mのベニヤ2枚にフレームをつけてレイアウト製作。
レイアウトは以前のブログでも触れたんで制作記は置いておきまして、走らせる車両。
これを大量に米国から輸入。
動力車はほとんど米国形の蒸気。
なぜなら架線を貼るのが大変なのと米国はディーゼルカー。
蒸気の写真はSouthern Pacific RRのMT−5モデル。
古いモデラーなんでブラス製に拘って再度、コレクションしながらレイアウト製作。
そうしないと、レイアウトの製作意欲が湧かないわけです。
これは数少ない日本製。
米国でも住宅事情が変わって広大な地下室とかホビールームが取れない時代になった。
せいぜい10畳程度の書斎の一角で走らせるのがNスケールの魅力になった。
というものの米国でも鉄道模型を楽しむ人口は減少、高齢化。
コレクターが亡くなると大量に古いブラスが出回ります。
HOを楽しむモデラーはクラブ組織でスペースを借りて運営、製作ですね。
1年もするとレイアウトも飽きます。
同じ景観だしメインテナンス、手直しも大変です。
特に路面の維持は毎日クリーンナップしないとスムーズには走らない。
そんな訳で長期ほったらかしでした。
なんとなく正月暇な時間にコレクションを眺めました。
やっぱりいい。
威風堂々とはこのこと。
1/160ですから虫眼鏡的なロコですが技術が立派。
上は日本製のAC-12キャブフォワード。
そう煙突を後ろにして機関士を守る。
トンネル対策だったようですが、Southern Pacific鉄道はほぼ重油なんですよね。
それでも煙は出たんだなあ。
石炭より白っぽいんですがかなりの量ですね。
テンダーと言って後ろに石油タンクを積みポンプで運転台まで運んでボイラーで燃焼。
この仕組みは全米でもSP鉄道だけですね。
大平原を全長500M以上の貨車を牽引してたんですね。
日本製はプレスを多用して立体感を出しています。
韓国製はなんでもロストワクスで半田付けしてディテールをつけていますね。
時代が違うということでしょう。
日本製はスケール感もエッジの甘さもないですね。
モーターはどれも日本製のコアレスとかキャノンモーターなど。
当時の価格としては日本製が韓国製の5倍程度からスタートでした。
最終的には日本のメーカーは採算が取れずギブアップ。
組み立てる技術者も高齢化したり、長年の半田付けで鉛中毒などあったようです。
輸出は1950年前後から2000年前後と50年間の歴史で進化し続けました。
それを韓国が引き継ぐような形で数量も少なくバリエーションが多い悪条件でも30年程度は続いたんでしょうね。
韓国には鉄道模型がないので輸出一本やり。
つまり、日本のような繊細なデフォルメとかはなく、設計図通りの精密組み立て。
日本は精密度ではかないませんが品のいい製品を作っていました。
これって米国人にはどうでもよくて値段ですかね。
最終的には中国になりそうでしたが成功はしませんでしたね。
韓国止まりでブラスモデルは終焉。
丈夫さも考えて作られていますのでハンドレールなど太い真鍮線ですね。
ステップ、台車もプレス打ち抜き、ディテールもエッチングよりプレス型押し。
ヘッドライトなどは引き物加工。
ナックルとか車幅ランプなどがロストワックスですかね。
工芸品というか金属加工品とハンドクラフトな半田付けですね。
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