2016年1月13日水曜日

軽自動車 ダイハツ工業

軽自動車に乗るようになって3年。
初めて所有したのも軽自動車。
つまり、軽で始まり軽で終わるだろう。
小学生時代にテレビ番組でよく見たのはミゼット。
近所のお菓子問屋には10台近くのダイハツミゼットが置いてあり、運転台に座って走る真似事をした記憶がある。
それはドアなんてついてなくてハンドルはバーの時代。

ダイハツは大阪の会社だったようだが東京でもよく見かける車両だった。
当時はトラックは3輪だと思っていた。
運送屋、材木屋など大きなものを運ぶトラックも多くは三輪車が街並みを走り抜ける。
幼稚園の近くにいすゞ自動車の工場があって、4輪のスケルトンがボディー工場へ陸送。
幼稚園児にはとてつもなく大きな自動車に見えた。

初めて車を買おうとした時に検討したのがこのダイハツコンパーノパイダー。
トヨタのパブリカコンバーティブルもあったが断然、ダイハツがカッコよかった。
友人が環七の駐車場にあるのを見つけ一緒に見に行って、売ってくれとメモを置いた。
当然、何の連絡もなかったんだがこれは今でも乗りたい憧れのクルマ。

私のオープンカー好きははじめからなんだなあと思う。
多分、アメリカテレビドラマのルート66、サンセット77などの車が頭に焼き付いていた。
もともと、クルマが必要な環境はなかったのではじめからおもちゃだったんだ。

結局、入手したのはこのスバル360。
確か、川崎の工員さんから30万程度で入手。
卵色だったのを大学時代のガールフレンドの実家が自動車工場だったんでそこでオーバーホール。
色はこれと同じ、スカイブルーで乗り回した。
初の所有車が軽自動車だったのは偶然だが、すごく気に入っていた。
所有した車はすべて気に入っている。
新車を購入したのは1台だけであとはすべて中古車でしかも古いものばかり。
しかも、人気車種という類でもないもの。

結局オープンカーに乗れたのはずっと後になってからだ。
唯一新車で購入したセリカコンバーティブル。
スタイリッシュだ。
基本設計が日本だからよく走った。
クーペを一度米国に輸出して、オープンカーにして逆輸入した輸入車。
日本の運輸省は4人乗りのオープンカーを未だに認めていない。
改造車扱いなのだ。

病気をしてもうクルマはいいかなあと思った。
近所のシェアカーを使えばいい。
ところが使ってみると犬を乗せられないことがわかった。
シェアカーは時間貸しなんで使ってみると思いの外きになる。
1回で懲りた。

やっぱりおもちゃとして移動手段が必要。

結局オープーンカーを所有することに。
しかも、軽自動車ということになった。
もう、夫婦二人だしちょうどいいと思った。

足があると動き回れるので山中湖にセカンドハウスを購入。
どれも衝動買いみたいだが、それって心の奥底にちゃんとあったんだろう。

ということでダイハツには全然縁がなかった。
これからもないだろうなあ。

しかし、ダイハツはやっぱり日本のカーメーカーとして最古としていい車、しかも軽自動車を作り続けた。
今まで知らなかったんだが、会社の理念らしい。
日本国土は軽自動車が実用で優秀。
オート三輪からミゼットで日本国土を熟知したメーカー。
今はトヨタグループだがグローバル展開のトヨタに対してあくまでも軽自動車。
大阪人の商売気質なんだろうなあ。
これからも軽自動車を真面目に作り続けて欲しいメーカー。

人生によりそうクルマ ダイハツ

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