幼稚園が大森海岸駅に近かったんで2年間通いました。
幼稚園に入る頃は大森町駅も出来て、大森町、学校裏、大森海岸と3駅で通園。
当時は急行があり学校裏は待避駅で毎回、急行を待つわけです。
一度、大便を我慢出来ずに待避中の普通車両でおもらし。
幼稚園は八幡通り沿いなので戦前は八幡駅があったようです。
大森海岸は海岸駅で次が鈴ヶ森駅(高架の駅跡が残っていた)、立会川駅。
現在の自宅ですね。
当時は大森町に自宅がありました。
大森海岸駅前通りにはいすゞ工場があり毎日スケルトンのトラックボディーが走っていました。
近所のボディー屋が荷台とかキャビンを作っていた時代です。
今日、My奥様が大森海岸の海水浴場が八幡海水浴場って言ってたと話していました。
そうです。
海岸沿いに大きな料亭が並び海水浴客が東京中から集まっていたんですね。
ちょうど、大森海岸と平和島の間で、平和島は中之島という海水浴場。
これは浅瀬で船で海水浴場へ行ってました。
その後、京浜急行が埋め立て平和島温泉を構築したんで、学校裏駅は駅名が平和島駅になりました。
戦後らしいネーミング。
戦争はもう嫌だってことで、平和に温泉につかろうってことですね。
これは当然、戦前の地図でしょうね。
ちゃんと鈴ヶ森駅、海岸駅、八幡駅と並んでいる。
距離にすると各駅間は300M程度でしょうか。
もともと、京浜電車は軌道線路で道路の上を走っていた区間が多かった。
私、中学時代まで品川駅に入るには北品川駅から第一京浜国道、現16号線を走っていた。
それから都電につながり上野まで。
つまり、これが都営地下鉄になり、京浜電車は京浜急行になった。
一時、海岸駅から大森駅に路面電車が走っていたようです。
これも京浜電車で大森経由で八幡海水浴場へ来てたんですねえ。
八幡駅から大森に向かうと八幡浜派出所とありますよね。
この地図の海沿いには料亭の屋号が並んでいます。
つまり、東京のリゾート地だったんです。
海岸駅の裏は三業地でいわゆる女郎さんやら芸者やらでこっちは本当の女郎遊び。
海岸に面する料亭は芸者遊びのメッカ。
なんと内陸が遊郭でした。
ここの大森駅に白木屋とあります。
そうです、銀座白木屋の大森店です。
高級品はここでしたね。
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