1964年、当時中学3年生だった私が感じたのは世界だった。
世界はきっと日本を感じたと思う。
もちろんマラソンのアベベ選手、体操のチャスラフスカ選手。
しかし、世界は日本を知っている。
私も世界を知っている。
つまり、純粋にスポーツ大会だけなのだ。
スポーツ選手が集い競う事のみが今のオリンピックだろう。
それを日本の東京でやる理由はほぼない。
少し前はビジネスモデルとしてオリンピックがあった時代。
それも今はないだろう。
スポーツの大会だらけの現状ではもはや潰し合いの時代だろう。
確かにオリンピック憲章があることは違いがある。
しかし、古くて陳腐な憲章など意味があるんだろうか。
2020年といえば東京は少子高齢化の真っ只中でどん底はその先にある。
そんな時代にオリンピック施設に巨額な税金を使っていいのだろうか。
そのツケを誰が払うんだろうか。
つまり、施設にお金なんてかける余裕はそれほどないはずだ。
だったら、従前の施設を有効利用して出来るだけお金を使わない方が賢明だろう。
若い学者の意見
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