昔は誰もそんな仕草はしなかった。
何か食べ物が神様になったんだろうか。
他に手を合わせることもないしとりあえず毎食がとても神に感じる。
まあ、そんなことだろう。
昔はお百姓さんに感謝とか、食に付された生き物への哀れみとかで「頂きます」と頭を下げてたかなあ。
「頂きます」に意味もなく手を合わせるようになったのはここ数年だろう。
毎日、犬の散歩で神社を通る。
私にとって神社を通るのはそこが便利だから。
なので手を合わせたりお辞儀をしたりしない。
しかし、ここを通る人の半分以上が賽銭箱の前で手を合わせている。
他にも鳥居の前を通る人が頭を下げたりしている。
神社は一応、神を祀っているのだから理解できる。
私は神社で手を合わせないわけじゃあない。
正月に山中湖の諏訪神社に初詣した時は賽銭を入れ鈴を鳴らして二礼二拍。
これは今年一年無事にと願う儀式だろう。
しかし、私は何も願わない。
神社仏閣は好きな景色だ。
やっぱり祖先を感じるからだ。
だったら手を合わせろと言われそうだが意味はないだろう。
感謝の気持ちはあまりないけど宇宙の凄さみたいなことを感じる。
凄みに手を合わせるのは「参った」ってことかなあ。
ちょっと大げさに考えてみた。
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