2016年5月18日水曜日

理事長職

先日、とある団体の理事長になった。
理事長とは理事のまとめ役とされている。
つまり、理事の多様な意見を聞きまとめる仕事。
ある意味では自分の意見ではないという意味だ。
それは私にはそぐわないと思っている。
自分から意見を述べるタイプの人間だから。

理事長を受けることにはかなり難渋した。
まず、現状の問題、特に金銭的問題の目処をつけておくこと。
客観的に見渡してその組織、団体が機能する方向は何なのかを知っておくこと。
また、団体を取り巻く環境の対応などなど、様々な課題があったから。

時間は過ぎ最早それらを進める時間は役職に就いてからになった。
ある程度の布石はしたつもりだが社会は思い通りには動かない。
力になると思ったのは理事各位の纏まり。
いわゆる一枚岩となる素養だろう。
変な派閥よりより良くするには力をあわせるしかないことへの理解度。
まあ、そんな漠然とした妄想を描き受理することになった。

組織を維持するということは少しずつステップアップすること。
つまり、止まることは許されない。
少子高齢化、デフレなどなど社会環境はバブルのような何をやってもOKの時代じゃない。
選択を誤れば団体の衰退は必至だろう。

長く役務に携わる気はない。
次を育て早く引き継ぐことが私にとっては重要な課題。
任期二年をそういう思いで全うできたらと思う。

パスカルの言葉に「人間は考える葦である」というのがある。
これはパスカルが病弱でそれを認めつつ前に進む考えだったと考える。
まあ、私も同じようなもの。
興味本位だろうが先日も病気は大丈夫なのかと聞かれた。
病気は病気、生きているうちは人間として前に進もうと思っている。
今更生きがいなんてのは感じない。
乗りかかった船。
人間は今までの行動責任がある。
それを背負って残りの人生を送るとすればまさに結びの一番だろう。

よくよく考えれば結婚している。
つまり家庭がもっと重要な位置になる。
家庭はエンドレスだと思っている。
はじめは好き放題、年月を重ねるとそれは許されない。
エンドレスの環境をより良く保つことが社会への関わりを支えてくれている。
そんな大それたことではない。
自然にそうなっているんだろう。
他人と共存する単位だろうから。

団体は多くの人間の気持ちが交錯している。
それぞれが組織人としての時間を共有している。
これは団体に携わっている時間だけの問題。
この時間を個人と錯覚してはいけない。
この時間は組織人で組織のために考え行動する時間であり見返りを受ける。
見返りを受けながら個人を主張するのはバカだ。
最近は個人のプライバシーやら個人の権利を主張する。
それは個人の場合であり、組織人では許されないのを認めない。
組織人には個人の入る余地はあまりないだろう。
あるとすれば間違えた個人主義を晒す時くらいなものだ。
組織の中で突然、個人の自由やら権利を申し立てるのはお門違い。
もちろん憲法で保障されている基本的人権とは違う。
人権を守るために組織があるとも言える。
それをなえがしろにして己の主張を通すことは道徳的不遜としか思えない。
人間として守るべき部分の誤解かもしれない。

動物は自然の中でまず自分を守る。
自分を守るために群れを作る。
群れの中にはルールがあるということを忘れてはいけない。
組織としてそれを共有したいものだ。

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