2015年2月24日火曜日

病気から社会復帰 脳梗塞

 病気
だまって座っていたら治らないなあ。
寝てばかりいたら治らないなあ。
これは誰でも判る話です。

脳梗塞の場合、後遺障害の程度で全く違う状況があります。
後遺障害と戦うというか改善策を探るしかないのは同じです。
中には全く障害はでないという方もいますが。
程度の差は大きいけれどそれなりの障害が残る可能性が大きい病気です。
運動機能の一部を失う、体の違和感、今後の心配、再発の心配、生活費の心配、ほぼ全ての要素が後ろ向きです。
ひとつひとつが生きることにとって重大なことばかりです。

何に頼るかということもあります。
家族、薬、病院、信仰と頼れるものはなんでも頼りたい。

よく考えたわけではありませんが、失ったものは帰ってこない。
新しく得られる物を考える。
生まれてずっとあって当たり前だった機能が失われ、新たになにを生み出すかというのは困難かもしれません。
それほど人間は自然に備わった力で当たり前に生きていた。
ひとつは障害をその自然に備わった力として受け入れることも必要でしょう。
得られる物は肉体的にはあまり見当たらない。
つまり、普通に老化して失うものが想像を超えて大きかったと考えるのが一番健康的かもしれない。
ただ、一瞬で失うためにそのショックが大きすぎる。
私は発症から3週目なのでまだ一瞬の部類です。
これは時が経たないと判らない部分です。
ただ、自然の流れとして捉え、受け入れて順応するのが私の障害程度では出来そうな来ます。
問題は得られるものはほぼありそうもないことです。
思考的にはそんな人間が沢山いることを知らなかった。
それを知ったから少しは世の中の見方が変わるかもしれない。
私は脳梗塞という病気については知識としてあったけれどもその予後については漠然としたものだった。
障害とは動くものが動かなくなるだけだと思っていた。
ところがそれよりも希望、想像、未来、生きるという頭脳プレーがすべて後ろ向きになる。
これらがすべて肉体を背景に成り立っていたということ。
その肉体の障害でそれらを修正しなければならないこと。
ある意味で障害を武器に新たな頭脳プレーを探ることかもしれない。
まあ、医者では治せない部分です。
私のこれからの行き方として通常じゃないことをまず念頭に置いた方がいいが、相手は通常なんで差が出てはいけないことと障害について理解してもらうような方法を選ぶことかな。

お隣のクリーニング屋さんの店長さんだった方。
5年前、脳内出血でNTT関東病院脳卒中センター。
先輩です。
彼女は脳内出血、ストレスとタバコ。
右半身の痺れで杖をついています。
5年たっても痺れは無くならないのね。
血圧のコントロールと便秘薬だけ飲んでいるそうです。
当然、タバコはやめたそうです。
おしゃべりはちゃんと問題なので障害の程度は私と同じ。
仕事は5時間以上は無理のようです。
世の中、見渡せばかなりの方が同病かもしれない。

私がラッキーなのはこうしてキーボードが打てること。

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