2014年6月23日月曜日

第1回合歓ジャズイン 合歓の郷 1970年

1970年夏、大学2年当時の思い出。
友人とスクーバダイビングに行こうという話になって友人の親戚の家に行くことになった。
男二人ってのもつまらない。
フェリスのガールフレンドを連れて行くことになる。
もう一人必要でしょ。
クラブの女の子を見繕って合計4名でイザ。
確か、日産のつまらないクルマで渥美半島からフェリーに乗って鳥羽へ。
志摩市の海岸で潜った。
スクーバダイビングは初めてだがなんとなくOK。
近眼の私のマスクにはマスク用メガネを作っていたがなんだかボケてつまらなかった。
海底は暗く色も冴えないし何故ダイビングなんてやるのか未だに気がしれない。
つまらないので船をチャーターして釣りもしたが暑くて死にそうだった。

じゃ何が記憶にあるかといえば合歓の郷。
まだ出来て間もない当時、ヤマハリゾートの合歓の郷。
ヤマハの川上源一が理想を求めた音楽振興なのよね。
当然そんなのは知らなかったが野外音楽堂があってジャズを一晩中聞けるということだった。
早速、夜出かけて行ったら結構人がいる。
横浜の平和公園野外音楽堂を想像していたらその十倍は大きい。
芝生だったような気がするが適当に寝そべってガールフレンドといちゃつきながら。
アルコールがないのが不思議だった。
もちろん、ナベサダも良かったが何と言っても前衛ジャズにしびれた。
そうなんだ、山下洋輔トリオ!
何だこりゃって感じだが、スピリットに溢れていた。
朝、6時近くまで野外ライブは続くのだが、3時頃には寝てしまった記憶。
そして、翌年、合歓の郷合宿をやって、再び、彼女とジャズインした。

近くの鰻三昧でうなぎを食べたのも感動した。
「川うめ」という店で当時はかなりきれいで豪華だった記憶がある。
なにしろ、出てくるものなんでもうなぎなのだ。
数年前に懐かしくて再訪問したがやっぱり鰻三昧は感動する。
松坂でステーキを食べたが糞食らえだった。

伊勢に1週間以上滞在し、大阪万博を見ようということになった。
当然、宿が見つからず京都の嵐山高級旅館へ宿泊。
大阪万博も昼は暑いのでナイター見物。
長い旅行で疲れていたのか万博の記憶は全くない。
残念ながら第1回の写真は見つからなかった

思い出すのは合歓ジャズイン。
奇しくも第一回に参加できたのは嬉しい限り。
今や、フェスティバル流行りでCD音源など誰も買わない時代。
ウッドストック以前に日本で野外夜通しのジャズフェスティバルがあった。
ジャズがロックなどよりパワフルだった時代があったんだなあ。
青春だね。

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