2018年9月24日月曜日

水泳大会考

一般的にどんなスポーツも競技することを目的に練習するもの。
これが当たり前ですが、文科省の考えは違う。
ゆとり教育は争うことを全て禁止し、運動できない個性、勉強できない個性を強調した。
これで幸せになれるんだろうか。
一部の子供達はクラブサッカー、少年野球、ちびっこバスケット、などのクラブで細々と続けていた。
学校は教育の一部を失った訳だ。

今の保護者は水泳を「習い事」という。
お習字や公文などと同列なのだ。
これは個人の努力でその個人の能力が開発されるが社会性はない。
もちろん、これで社会貢献は可能だがドロップアウトも多いだろう。
もともと競うことを拒否した教育しか受けていないからだ。

水泳大会を色々開催している。
区民スポーツ大会、水泳記録会、マスターズなどなど。
それぞれ目的があるが区民スポーツ大会水泳競技はほぼ水泳部とスイミングクラブが参加者だ。
我々が区民皆泳をうたい指導している参加者には縁遠いというのが通り相場だった。
しかし、運営者として開催する大会に出ることもない水泳指導の意味はあまりにも狭い。
保護者は例えば25M泳げたら他の習い事に変えることが前提になっている。
そこにスポーツとしての競技性は拒否されている。

それらを啓蒙する意味と指導する立場を考えて色々な大会企画を考えている。
その一つにクラスチャンピオンシップという大会入門イベントを開催した。
私の中では構想はまとまっているが大会役員は普通の大会だと思って戸惑ったようだ。
しかし、イベントとしては大成功で今後の課題もわかった。

ゲストに中村真衣さん、たまたま来ていただいた。
60名の参加者で午後開催。
出場選手の多いレースは予選から。
大会中に表彰式。
これらを全て端折って大会は運営されている。
なぜなら時間の問題が大きい。
たくさんのレースに多くの選手が出場すると1日で消化するとそうなる。
つまり、大会に色々盛り込みすぎている気がする。
クラスチャンピオンシップは泳力級のハンデレース。
学年性別は問わないカテゴリーになっている。
小学6年生が小学1年生と戦ったりするのだ。
表彰式でニコニコした選手たちの顔は忘れられない。
大会で楽しそうな顔をたくさん見るのは嬉しいことなのだ。
本当は選手が楽しむための争いがスポーツ。

この目的はとにかく大会に出て選手経験に挑戦する。
同じ泳力級同志でライバルを見つけて練習をする。
勝つための練習と上手く泳ぐための練習が本来のスポーツ指導だろう。


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