2019年5月10日金曜日

闘病といえばカッコいい

前立腺全摘から8年経ちました。
前立腺ガンで命を失うという方は気の毒ですが少数です。
5年ステージA生存率とやらは100%程度でしょうか。
とにかくあまり命を脅かすことにはなり難い病気でしょうか。

私の叔父と父は腺ガンが死因ですが腺ガンは前立腺ガンです。
肺腺ガンは聞いたことがありますが他に腺ガンを聞いたことはないですね。
前立腺がんは前立腺の外周に発生することが多いようです。
それが小さな点状に広がるんでしょうか。
ある意味で全体がガンになると行っても普通細胞の中に点在していると思います。
前立腺全摘手術は私が受けた当時は大変な手術でした。
何しろ骨盤の中にあるので手探り状態でしょうか。
自己貯血を500ccを輸血用に取ります。
それから手術は下腹部を私はへそ下からまっすぐに20センチ程度開腹しました。
手術は3時間はかからなかったかもしれませんが背骨に痛み止めの針を刺すことから始まりました。
あとは全身麻酔で仮死状態。
意識を取り戻してからも痛みはほぼ抑えられていました。
痛くなると脊柱に刺した針から痛み止めを注入すればいい。
術後2日目には起き上がって歩行練習というか体力維持が始まります。
これが点滴棒を抱えてだらだらと歩き回るわけです。

今はそんなことはないようです。
ほとんど99%はダビンチというロボット手術で行われるので回復も早いようです。

ただその後の術後10ヶ月後にPSAが上昇。
これはガンマーカーで血液検査でわかります。
ということは前立腺外に広がった腺ガンがあるということのようでした。
選択の余地はなく、放射線治療になります。
つまりまだガンから完治を目指すわけです。

放射線は強いX線でそれなりに最新の機械で行いました。
1ヶ月以上毎日病院で放射線を浴びました。
当てる位置にはマジックでマークされていました。
この治療結果は腺ガンの完治内容でした。

その1年後から膀胱から出血が始まりました。
最終的には膀胱タンポナーデといって膀胱の中に大きな血の塊ができて排尿ができなくなりました。
あとは痛みとの戦いと尿意との戦いでしたね。
痛みはそのタンポナーデを除去するんですが原始的というかチンチンからパイプを突っ込んで吸い出す。
尿意は小さな血の塊でも尿道に詰まれば排尿が止まる訳ですから。
治療方法も膀胱に食塩水を流し込み、尿と食塩水を常時排泄するという対処療法。
それでもコアグラは出来ますね。
カテーテルの先にそれが詰まること数えきれず。
入院生活も年間で120日を超えました。

そのうちに膀胱癌を発症します。
膀胱鏡で見ると膀胱内は四六時中溶岩が流れ出ている景色のように出血していました。
その膀胱内部はドロドロ状態でまあガンになってもおかしくない。
そのガンは膀胱鏡に電気メスをつけたようなメスガンで切り取ります。
全身麻酔で施術中は不明ですが気を失う前に担当医を見るとメスガンを抱えて待機していました。
ああ、あれを打ち込まれるんだなあという心境。

細胞診では一番悪質度の軽いT1aというガンでした。
5回程度受けていますがほとんどT1aで一度だけT2sでした。
T2aの時にBCG治療を受けました。
膀胱にBCG溶液を入れて1時間後に排尿しますが一回で中止になりました。
とにかく、血尿が酷くなり治療不能と判断された訳です。
膀胱内のガンを根絶するために膀胱内全体を剥離させてガンを無くすということでしょう。
しかし、残念ながらその治療は私には不可能ということになりました。

左腎臓の腎盂ガンも発症しました。
これはCT検査の結果で発見していますから検査は大切ですね。
実はCT検査は毎年1回が治療方針のようですがこれが忘れられて1年半後に行い解った。
どんな病院でも完璧、ミスなしはないだろうと思いましたね。
あれだけの治療を受けていると担当医は完全にベストを尽くしていることは判る。
人間だからちょっと忘れたりするけど私の場合はラッキーだった。
腎臓は開腹手術ではなく、内視鏡手術で外し、以前の前立腺開腹部から取り出すということでした。

出血は放射線被曝が原因です。
今でも膀胱内の一部は赤くただれた状態でおそらく目に見えないような出血があるでしょう。
ただし真っ赤なおしっこやコアグラができるようなことはなくなっています。
この1年2ヶ月は潜血はあるでしょうけど出血はほぼなくなっています。
そうなるとガンもできないようです。

3ヶ月に一度のファイバー検査ー膀胱内カメラ検査は続きますね。
10年のようでそうなると80になる。
PSAの検査はほぼしていませんので腺ガンは完治のようです。
あとは膀胱癌ですね。

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